June 05, 2004
『ラッコの道標』
読書感想文だったりするのだ。『ラッコの道標−ラッコが教えてくれた多様な価値観−』
中村元(鳥羽水族館)著 バロル舎刊
ラッコの和名はラッコ。本来ラッコは日本にもいたのだ。少なくとも10世紀前には、ラッコは北海道で普通に見ることのできる動物だった。アイヌ民族は、千島列島周辺にいたラッコをラッコと呼び、北海道周辺のものは別の名前で呼んでいたそうだが、北海道より北にはラッコがいたことを表している。ラッコの毛皮は徳川家康にも献上されたという記録がある。
18世紀、ロシア、アメリカ、イギリスでは、大きなラッコ(の毛皮)ブームが起きていた。日本はずっとアイヌ人との交易で毛皮を手にしていたが、1873年にアメリカのラッコ船が千島列島のラッコを狙ってやってきたのと、明治初期に日本に来ていたイギリス人がたった一人で10年間に8,410頭ものラッコを千島列島で密猟したせいで、択捉島のラッコはほぼ絶滅したらしい。
外国人のせいばかりにはしていられない。1895年に日本政府は外国からのラッコ船に対抗するため、免許規則を公布してラッコ・オットセイの捕獲を奨励している。アメリカの船が千島列島にまでやってきたのは、ロシアやイギリスとの間で毛皮の奪い合いがあったからで、これらの国々は巨額の富を生む毛皮の捕獲に血道を上げた。
1911 年にはロシア、アメリカ、イギリス、日本の四カ国で締結された「北大西洋におけるラッコ・オットセイ暫定条約」で、四カ国のうち日本だけが捕獲できなくなった。他の三カ国はその後もラッコとキタオットセイを捕り続け、最終的にはラッコを絶滅近くにまで追いやってしまった。そうして日本では新しいラッコの毛皮の流通が途絶えて数十年が経つと、普通の人がラッコの毛皮を目にすることがなくなり、ラッコという言葉は誰も口にしなくなってしまっていった。
イヌイットとアザラシの関係は、アザラシの生態と、その自然環境の食物連鎖などを体験的に知っているイヌイットたちが行ってきたから、資源数としてはアメリカなどが過去に獲りすぎて絶滅寸前に追い込んだ頃に比べて、奇跡的というほどに増えているという報告がある。さらに、イヌイットはアザラシの生と死を見直におっ事で、その命に尊厳がることを充分に知っている。ところが、その場所の自然のことは何も知らないような方たちに、イヌイットのアザラシ猟は野蛮だから止めさせなさいと糾弾されている。
日本人と捕鯨の関係も然り。このような問題は、実際に動物を利用してきた国の人が責任を持って計算し、動物に対する感情もその人達の道徳の中で今一度決めるべきであり、少なくともその動物と共に暮らすことのなかった人達が、勝手に決めるものではないと思うのだ。
イヌイットと共存していたラッコは、イヌイットにとっては生きるために着る上質の毛皮を得る相手だった。彼等は自分自身をヒトという生命として生態系の一部に組み込んでいるから、どのようにすれば互いに生き残っていけるのかを計算できるのである。ところが、その毛皮が金に換わるようになったところで、ラッコは共存すべき動物から、ただの商品になってしまったのである。動物を共存する相手として付き合おうとしている先住民が、「野生生物は可愛い、殺すのは野蛮」という考えを正義と決めつけている人たちから攻撃を受けている。しかしそのような人たちには、間引きをされない野生生物群がどうなるかを知りはしない。仲間同士で過剰競争をせねばならなくなった野生生物は再び数が減るような境遇に追いやられているのである。それぞれの民族には、歴史があり文化があり、そしてそれに則った道徳がある。余分なものを欲しいと思わなかった先住民に、動物は商品という世界観を植え付けた、自分達の文化を恥じるべきなのではないだろうか。
日本は過去に、アメリカとイギリス、ロシアの毛皮争奪戦にノコノコと出かけていきラッコの大量捕殺の一員となってしまった。ほ乳動物の大量ハンティングの文化や、それを経済資源と考えることなどそれまでなかったのに、西洋の経済中心的価値観、人間中心の文化をいそいそと真似たことが、ラッコの絶滅へ手を貸す結果となってしまった。それは素直に反省すべきだと思う。
せめて野生生物の命を、換金できて富をもたらす資源だとか、ヒトの虚栄心を満足させるための物質だとは思わないでいればいいと思う。本来の日本人…自然のすべてに神が宿っていると考え、野生生物と暮らしてきた日本人。この日本で暮らす人々が長い年月い渡って培ってきた自然観が大きく間違っていることなどけっしてないのだ。それどころかつい最近まで河童や豆狸などの物の怪と共生してきた自然観、アイヌが森の動物や精霊たちと共存してきた世界観は、森を切り開き制覇してきた西洋的な価値観より、はるかに認められるものとして今後の地球に役立てることができるだろう。その価値観には、金を生み貯めるための経済学は存在しないが、資源や心の資産を増やし、いつまでも生きていくことのできる実にシンプルで本質的な経済学があると思うのである。
実は近年、ラッコは北海道で時々見かけられるようになってきている。まだまだ北海道沿岸で繁殖しているとは考えられず、おそらく千島列島からやってきたラッコであろう。その後の日本は択捉島などのラッコの保護に乗り出し、最近のロシアの調査では、択捉島で千頭を越えるラッコを確認している。千島列島のラッコたちは、細々とではあるが回復に向かっているのは間違いない。こうして自国内で野生生物が観察できることは幸せである。
(本文から一部抜粋して並べかえ、さらに私自身の頭の整理のために本文中にない言い回しも含んでいます。この文章を読んで興味を持ったり語ったりしようという方は、是非原書をお読み下さい。)
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