October 18, 2004

クマの話

ここ一ヶ月はクマ出没、クマ被害のニュースが聞かれない日はありません。
テレビ番組で誰かが「被害に遭った人間より殺されたクマの方が数が多い」と言っていたけれど、クマ好きにとっては胸の痛む報道が続きます。
でも、だからといって被害に遭った人の生命や恐怖を軽んずることは決してできません。

『クマを追う』米田一彦著 どうぶつ社刊
日本のクマ好きにとってバイブルのような本です。
こんな時だからこそ、多くの人に読んで欲しい一冊です。
以下、ほんの一部分ですが書き出します。

※予察駆除:人間に危害を及ぼす可能性があるため、実際に被害に遭う前に駆除しておくこと

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越冬中の親子グマを「予察駆除※」で射殺しようということになった。

この時期、子グマは極端に寒さを嫌う。
母グマはそれをよく知っていて、だから決して傍らから離れようとはせず、危険はない。
だが、いずれ(子グマが)2メートルでも出歩くようになると、運悪く通り合わせば襲われる。
それはだいたい四月下旬以降のことだ。

総勢13人が重い思いに穴の周囲4メートルほどに取り囲んだ。
穴は土穴で、母グマの全身が見える。
子グマと短い期間だが過ごしたその穴には、ふと生活の温もりが感じられた。
その温もりが、今消えようとしている。
野生の怒りを内に押し込め、子グマを懐に抱き続ける母グマの姿は哀れだ。
せめて外敵と、人間と戦って果てるなら野生の誇りも保てように、それもできない。
なすがまま撃たれるのだ。

火の光が一条、放たれた。
灼熱の鉛玉は彼女の眉間に小さな孔を穿った。
無抵抗の野生に、あまりに強烈すぎる人間の技だった。
彼女は一言の抗議もせずに、身じろぎもせず、静かに頭を地面につけた。
赤い流動が大地に広がった。
子グマがチャーチャーとないていた。

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親子レッサーパンダ

別の話では、檻の中に捕らえられたクマを撃った時、クマはゆっくりと自分の撃たれた所を見て、そこから流れ出る自分の血を見ながら、徐々に崩れていく様を描いてあります。
その時に射殺を請け負った地元猟友会の人は「自分はこんな事をするために銃を持っているのではない」と言葉を絞り出すように語ったといいます。

クマは日本人にとって親しみのある動物ですが、親しさ=個体数の多さ、ではありません。
九州のツキノワグマのように絶滅に追い込まれる前に、クマの住環境の研究が進み対策が講じられることを、心から願ってやみません。

17:18:00 | redpanda | | TrackBacks